うろうろ草子

地方在住の人が好きに書き散らかしています。

それはわたしの勝手だ

例によって嵐の活動休止を受けてもわたしは泣きもしないしさほどショックでもない。
ああそうなんだ、と。

しかしTwitterとかでこういうことはとても言いにくい。
わたしと同じような熱量でファンだという人は見かけたことがないからだ。
フォローしているみなさん(文字の上では)悲しんでいるし、ショックを受けているように見える。でもそういう文字の上のことさえ、わたしはなんとなく見たくないし言えない。

ずっと続くなんて思ってない。
身近な人だっていなくなるときは急だ。実際に会ったこともない、知らない人も同然のアイドルたちが、なぜ急にいなくなることはないと思えるのか、わたしにはその方が理解しがたい。
でも、ショックだとか悲しいとか、そんな気持ちは抱いても当然なのだろうなとも思う。
しかしだ。
ファンならショックを受け、悲しんで当たり前のように言われるのは納得いかない。
なんでだよ。
見られなくなるのは寂しいとは、わたしだって思ってる。でも、受け取りかたとしては「ああそうなの」になる。それを責められても困る。たかがファンなんだぞ。

確かにわたしは好きなものや趣味も多い。
だからといって一つ一つの重さが軽いわけじゃない。
一つ一つ全力で好きだし、形は多少違えどどれだって重い。
なのにどうしてたくさんあるうちのひとつだからあんたは平気なんだなんて言われなきゃならないんだ。
ショックや悲しみという形じゃないけど平気なんてことは絶対ない。色々考えるに決まってるだろ。
多分言っても伝わらないんだろうけど。
大体関ジャニ∞は活動休止とかしてないからいいよねなんてどの口が言ったんだ。活動休止を選ばなかった彼らには彼らなりの苦しみもあろうし多分見る側にもしんどさはある。

肝心の嵐のことは全然書いてないが、でもこれからのツアーは当たれば行くつもりだし楽しみにしている。